ミュージシャン
Toshi小島
Toshi小島
【Toshi小島(小島敏弘)プロフィール】
1958年、愛知県一宮市生まれ。
1980年、法政大学 哲学科卒業。
学生時代は役者を志し上京するも、家庭の事情により断念。しかし「人を楽しませたい」という原点を捨てきれず、「役者という職業でなくても、人の心を動かすことはできる」と発想を転換。その後の人生そのものが、一つの表現活動となっていく。
ホテルマン、家業の食品・日用品小売業、喫茶店経営、輸入雑貨業などを経て1987年に起業。
30歳の時には、故郷・一宮市を舞台にした映画『宇宙の法則』を企画製作。監督は 井筒和幸 。
「地方から文化を発信したい」
「祖父の故郷への想いを受け継ぎたい」
その願いを胸に、全国7大都市で劇場公開を実現する。
しかし、その挑戦の代償は大きかった。
結果として約1億8000万円の負債を抱え、会社は倒産。さらにその過程では、反社会的組織による監禁という極限状態まで経験する。
昨日まで当たり前だった世界が、一夜で崩壊する――。
その中で、人間の恐怖、欲望、裏切り、そしてなお生きようとする生命力を、身をもって知ることとなった。
その後再び上京し、広告代理業、映像制作、企業人材教育、地域活性化事業など多岐にわたる仕事に従事。
30代半ばで結婚と離婚を経験する。
転機となったのは、その頃、日豪文化交流活動を通じて出会ったオーストラリア先住民の伝統楽器ディジュリドゥだった。
最初はまったく音が出なかったが、来る日も来る日も演奏CDを聴き続ける中で、その響きが人生の深部へ入り込んでいく。
39歳で故郷へ戻り、40歳で本格的にディジュリドゥ演奏を開始。
「神の啓示かと思うほど突然、吹きたくなった」と本人は語る。購入直後から音が出せるようになり、わずか数ヶ月でライブ活動と輸入販売をスタート。以後、音楽活動は全国へ広がっていく。
46歳で最愛の妻・七海と出会い再婚。
岡山へ移住し、「Toshi&七海」として全国各地で演奏活動を展開。
愛知万博、ハワイジャパンフェスティバル、鎌倉芸術祭、京都嵐山音楽祭 などにも出演し、オーストラリア、ハワイ、セドナ、サンタフェ、バリなど海外でも演奏を行う。
しかし人生は再び試練を与える。
身内の借金の連帯保証が原因で自己破産。
「人生は何度でもゼロになる。それでも終わらない」
そんな実感が、表現の奥行きをさらに深めていった。
2017年9月4日、最愛の妻・七海が他界。
深い喪失の中で翌年迎えた還暦。
その後は、死生観や“命をどう生きるか”をテーマにした講演やトークライブも行うようになる。
2023年には舞台役者としても新たな挑戦を開始。
原田大二郎 作・演出『ちっちゃな星の王子さま』で舞台デビューし、主題歌の作曲・歌唱も担当した。
現在は千葉県市川市と東京都大田区池上を拠点に活動。
オリジナル曲のギター弾き語り、ディジュリドゥ、ネイティブアメリカンフルートによる即興演奏、そして自叙伝的トークを融合した独自のライブを全国展開している。
また2014年からは、呼吸・振動・脳幹刺激に着目した独自メソッド「ディジュッポ健康法」を提唱。
白い117cmの専用管楽器「ディジュッポ」を用いた健康法として、これまで5,000人以上を指導。予防医療や健康寿命延伸への貢献にも力を注いでいる。
・一般社団法人ディジュリドゥ健康法普及協会 代表理事
・NPO法人日本ニーム協会 理事
・東海ホリスティック医学振興会 顧問
・日本統合医療学会岡山支部 元役員
私の人生は、成功談だけではない。
倒産、借金、自己破産、愛する人との死別、別れ、挫折。
だが、その傷跡を隠さず抱えたまま、人前に立ち続けている。
大学時代、卒業論文のテーマは「愛」。
最も尊い“無性の愛”にはまだ至れない。
だからその手前に「ピエロの愛」を置いたという。
人を笑顔にしたい。
苦しみの中にいる人に、「それでも人生は面白い」と伝えたい。
その想いこそが、Toshi小島という存在の核にある。
傷だらけのまま、今日も音を鳴らしている。
1958年、愛知県一宮市生まれ。
1980年、法政大学 哲学科卒業。
学生時代は役者を志し上京するも、家庭の事情により断念。しかし「人を楽しませたい」という原点を捨てきれず、「役者という職業でなくても、人の心を動かすことはできる」と発想を転換。その後の人生そのものが、一つの表現活動となっていく。
ホテルマン、家業の食品・日用品小売業、喫茶店経営、輸入雑貨業などを経て1987年に起業。
30歳の時には、故郷・一宮市を舞台にした映画『宇宙の法則』を企画製作。監督は 井筒和幸 。
「地方から文化を発信したい」
「祖父の故郷への想いを受け継ぎたい」
その願いを胸に、全国7大都市で劇場公開を実現する。
しかし、その挑戦の代償は大きかった。
結果として約1億8000万円の負債を抱え、会社は倒産。さらにその過程では、反社会的組織による監禁という極限状態まで経験する。
昨日まで当たり前だった世界が、一夜で崩壊する――。
その中で、人間の恐怖、欲望、裏切り、そしてなお生きようとする生命力を、身をもって知ることとなった。
その後再び上京し、広告代理業、映像制作、企業人材教育、地域活性化事業など多岐にわたる仕事に従事。
30代半ばで結婚と離婚を経験する。
転機となったのは、その頃、日豪文化交流活動を通じて出会ったオーストラリア先住民の伝統楽器ディジュリドゥだった。
最初はまったく音が出なかったが、来る日も来る日も演奏CDを聴き続ける中で、その響きが人生の深部へ入り込んでいく。
39歳で故郷へ戻り、40歳で本格的にディジュリドゥ演奏を開始。
「神の啓示かと思うほど突然、吹きたくなった」と本人は語る。購入直後から音が出せるようになり、わずか数ヶ月でライブ活動と輸入販売をスタート。以後、音楽活動は全国へ広がっていく。
46歳で最愛の妻・七海と出会い再婚。
岡山へ移住し、「Toshi&七海」として全国各地で演奏活動を展開。
愛知万博、ハワイジャパンフェスティバル、鎌倉芸術祭、京都嵐山音楽祭 などにも出演し、オーストラリア、ハワイ、セドナ、サンタフェ、バリなど海外でも演奏を行う。
しかし人生は再び試練を与える。
身内の借金の連帯保証が原因で自己破産。
「人生は何度でもゼロになる。それでも終わらない」
そんな実感が、表現の奥行きをさらに深めていった。
2017年9月4日、最愛の妻・七海が他界。
深い喪失の中で翌年迎えた還暦。
その後は、死生観や“命をどう生きるか”をテーマにした講演やトークライブも行うようになる。
2023年には舞台役者としても新たな挑戦を開始。
原田大二郎 作・演出『ちっちゃな星の王子さま』で舞台デビューし、主題歌の作曲・歌唱も担当した。
現在は千葉県市川市と東京都大田区池上を拠点に活動。
オリジナル曲のギター弾き語り、ディジュリドゥ、ネイティブアメリカンフルートによる即興演奏、そして自叙伝的トークを融合した独自のライブを全国展開している。
また2014年からは、呼吸・振動・脳幹刺激に着目した独自メソッド「ディジュッポ健康法」を提唱。
白い117cmの専用管楽器「ディジュッポ」を用いた健康法として、これまで5,000人以上を指導。予防医療や健康寿命延伸への貢献にも力を注いでいる。
・一般社団法人ディジュリドゥ健康法普及協会 代表理事
・NPO法人日本ニーム協会 理事
・東海ホリスティック医学振興会 顧問
・日本統合医療学会岡山支部 元役員
私の人生は、成功談だけではない。
倒産、借金、自己破産、愛する人との死別、別れ、挫折。
だが、その傷跡を隠さず抱えたまま、人前に立ち続けている。
大学時代、卒業論文のテーマは「愛」。
最も尊い“無性の愛”にはまだ至れない。
だからその手前に「ピエロの愛」を置いたという。
人を笑顔にしたい。
苦しみの中にいる人に、「それでも人生は面白い」と伝えたい。
その想いこそが、Toshi小島という存在の核にある。
傷だらけのまま、今日も音を鳴らしている。